私がオーストラリアへ行く理由
年始早々語りますけども、私がどこかに行く決断をするときの燃料は大概、負のエネルギーです。ロンドンに行った時もそう。以前にも書いたかもしれませんが、ある人にものすごく怒られまして、仕事関係でも家族でも友人でも恋人でもない人。どうで もいい人にどうでもいいことで(本当に誰に話しても、何でその人がそんなに怒るのかわからないという話)ものすごく怒られて、それがすごくショックで、そ んなことにショックを受けている自分がショックで、深夜にアスファルトを見つめながら、「そうだ、ロンドン行こう」になってしまったわけです。もちろん自分なりの大義名分はいろいろあって、そもそも仕事への行き詰まりを感じていたこと、外国暮らしがかねてからの夢だったという背景があってのことなのです が、決断をさせたのはその事件でした。
さて、今回は何があったかというと、2年以上かけて誠心誠意やっていたプロジェクトがポシャるとい う、前回に比べると、結構深刻な事態でした。それはお金と時間をすごく費やして、本当に熱意だけでやっていたことでした。話が遡るのですが、最初に渡英した時、3.11の震災後10日で日本を離れることになり、決まっていたこととはいえ、そのことに後ろめたさを感じずにはいられず、自分なりにこの時期にロ ンドンに来た理由を見つけたいと思っていました。イラストレーターの端くれにすぎないのに、おごった考えだと今は思うのですが、イラストレーターとして社会にもっと違うアプローチができるのではとも考えていました。そして現地でボランティア活動に参加をしながら、そこで得たことをある方に報告していたところ、一時帰国の時にあるプロジェクトに声をかけてもらいました。それに参加することが震災、渡英以降、考えてきた自身のライフワークなのだと思いました。何があったかは端折ります。このプロジェクトが潰れたことで、私が試行錯誤して作り出した、大量の作品も公開される機会を失ってしまいまし た。それこそ、このためにウエイトレスもして、大げさではなく身を削る思いでやっていましたから、最終的に罵倒されて終わると言う超展開に唖然としたものです。何よりも、これを必要とする人がいると信じて、その人の元へ届けたいと思っていましたから、結果として届かないことが悔しいばかりです。
これが起きたのが帰国する数ヶ月前。で、私の精神状態は推して知るべしなのですが(別の部屋からアザーンが聞こえてきた時、ついに私も幻聴が聞こえるようになったと本気で心配したものです。)、その時にパソコンの画面に出ていた学校の広告が「三ヶ月でグラフィックデザイナーになれる」。以前に検索したからか、度々画面に表示されてきた広告で、ずっと、胡散臭いと思っていたのに、その時はその広告に乗ってしまおうと思ってしまったのでした(もちろん、後からちゃんと卒業生のレビューも調べましたし、ロンドン校の説明会も行きましたよ!)デザイナーになりたいわけではないのですが、仕事をする上でパソコンのスキルをブラッシュアップさせたいと思っていたことを件のプロジェクトで忙しくて忘れておりましたし、不完全燃焼で終わってしまった悔しい気持ちのやりどころは、何かをやり遂げることで補えるように思ったのでした。あと、まぁ、電子書籍デザインのいろはも教えてくれるみたいなので、これからに備えて、そんなところも補完しておきたいという大義名分もやっぱりあるんですけどね。ということで、一番早いタイミングでこの時期の留学になりました。
遠くへ逃げても楽にならない、私は私だから。と、16,7歳のヒッキーが「wait and see」の中で歌っておられたけども、ねぇヒッキー、32歳になってもその境地に辿り着けないよ、私。
そして私は癒しを求めて、ロンドンブディストセンターに。それはまた別の話。
さて、今回は何があったかというと、2年以上かけて誠心誠意やっていたプロジェクトがポシャるとい う、前回に比べると、結構深刻な事態でした。それはお金と時間をすごく費やして、本当に熱意だけでやっていたことでした。話が遡るのですが、最初に渡英した時、3.11の震災後10日で日本を離れることになり、決まっていたこととはいえ、そのことに後ろめたさを感じずにはいられず、自分なりにこの時期にロ ンドンに来た理由を見つけたいと思っていました。イラストレーターの端くれにすぎないのに、おごった考えだと今は思うのですが、イラストレーターとして社会にもっと違うアプローチができるのではとも考えていました。そして現地でボランティア活動に参加をしながら、そこで得たことをある方に報告していたところ、一時帰国の時にあるプロジェクトに声をかけてもらいました。それに参加することが震災、渡英以降、考えてきた自身のライフワークなのだと思いました。何があったかは端折ります。このプロジェクトが潰れたことで、私が試行錯誤して作り出した、大量の作品も公開される機会を失ってしまいまし た。それこそ、このためにウエイトレスもして、大げさではなく身を削る思いでやっていましたから、最終的に罵倒されて終わると言う超展開に唖然としたものです。何よりも、これを必要とする人がいると信じて、その人の元へ届けたいと思っていましたから、結果として届かないことが悔しいばかりです。
これが起きたのが帰国する数ヶ月前。で、私の精神状態は推して知るべしなのですが(別の部屋からアザーンが聞こえてきた時、ついに私も幻聴が聞こえるようになったと本気で心配したものです。)、その時にパソコンの画面に出ていた学校の広告が「三ヶ月でグラフィックデザイナーになれる」。以前に検索したからか、度々画面に表示されてきた広告で、ずっと、胡散臭いと思っていたのに、その時はその広告に乗ってしまおうと思ってしまったのでした(もちろん、後からちゃんと卒業生のレビューも調べましたし、ロンドン校の説明会も行きましたよ!)デザイナーになりたいわけではないのですが、仕事をする上でパソコンのスキルをブラッシュアップさせたいと思っていたことを件のプロジェクトで忙しくて忘れておりましたし、不完全燃焼で終わってしまった悔しい気持ちのやりどころは、何かをやり遂げることで補えるように思ったのでした。あと、まぁ、電子書籍デザインのいろはも教えてくれるみたいなので、これからに備えて、そんなところも補完しておきたいという大義名分もやっぱりあるんですけどね。ということで、一番早いタイミングでこの時期の留学になりました。
遠くへ逃げても楽にならない、私は私だから。と、16,7歳のヒッキーが「wait and see」の中で歌っておられたけども、ねぇヒッキー、32歳になってもその境地に辿り着けないよ、私。
そして私は癒しを求めて、ロンドンブディストセンターに。それはまた別の話。
- 2016.01.13 Wednesday
- 考えたこと
- 18:00
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- by Yu Shichiji